沿革

1963年(昭和38年)4月 ことりや作業衣店を開業
1966年(昭和41年)2月 株式会社に改組(資本金100万円)
1970年(昭和45年)2月 新潟市西厩島に移転
1974年(昭和49年)6月 資本金400万円に増資
1976年(昭和51年)2月 「株式会社ことりやユニフォーム」に社名変更
1976年(昭和51年)7月 資本金1,600万円に増資
1982年(昭和57年)2月 新潟市万代に新社屋竣工
「株式会社ことりや」に社名変更
1993年(平成5年) 本社社屋を3階に増築
2012年(平成24年)4月 梶原 博志が代表取締役社長に就任
2013年(平成25年) 「経済産業省中小企業IT経営力大賞」IT経営実践認定企業に認定
2016年(平成28年) 創業50周年を迎える
上越営業所開設
2024年(令和6年)4月 梶原 圭一郎が代表取締役社長に就任
2025年(令和7年)6月 厚生労働省「くるみん認定企業」に認定
2025年(令和7年)9月 経済産業省「DX 認定制度」を取得

株式会社ことりや 50年の歩み

株式会社ことりやも平成28年2月を持って、創立50年を迎えました。
これもひとえにに皆さま方のご支援の賜物と、深く感謝申し上げます。

昭和30年代

弊社は昭和38年、新潟の下町、秣川岸通にことりや洋品店として産声を上げました。当時の新潟は港町として栄えた頃の名残りで堀や川がはりめぐらされていました。
当時流れていた他門川という川のほとりに、バラックと呼ばれた2階建ての簡易住宅に店を構え、中古で購入したダットサン1台で営業を始めました。

当初はいわゆる飯場と呼ばれる労働者の宿舎周りからから始め、ダットサンに商品を目一杯積み込み、笠堀ダム等に売り込みに行きました。ですので当時の主要な商材は地下足袋、7分ズボン、ニッカズボン、鉄甲シャツ等でした。
また、今の言葉で言えばOEM、オリジナルの毛糸の腹巻を近所の毛糸屋さんに編んでもらい販売もしていました。

当時、五女子足袋(ゴニョーシ)というブランドの足袋が大人気で、全国から業者が名古屋まで買付に来て、1カ月月~2カ月待ちが当たり前の状況だったそうですが、弊社も何とか仕入代金を工面し、前金を積み何カ月でも待つからということで頼み込みました。
その甲斐もあって、仕入することができ、ことりやに行けば「五女子足袋」があるというのがクチコミで拡がり、お客様が徐々に増えて行きました。
今でこそインターネット販売も当たり前になり、簡単に入手できる様になりましたが、当時は商品の購入も一苦労でした。

そして昭和39年には新潟大地震が起こり、昭和大橋も崩落する等、町も壊滅状態に陥りましたが、地域の皆様に支えていただいたおかげで、何とか凌ぎ、営業を続けることができました。

昭和40~50年代

そして昭和45年に、秣川岸から西厩島町(通称こんぴら通り)に移転致しました。広さも今までの40坪程度から130坪と、思い切った投資でしたが、当時の取引銀行の支店長から「ことりやさんだったら何年待っても良い」とお金を融通していただき、移転することができました。

その後、順調に業績も推移し、15年後の昭和57年に信濃川を挟み、対岸の万代町に新社屋竣工移転致しました。幸いにも皆様からユニフォームのお店として、ことりやの場所をすぐ覚えてもらえ、多くのお客様からご来店していただける様になりました。

そして平成へ

年数の経過と共に徐々に社員数も増え、社屋も手狭になり、10年後の平成4年には2階から3階へと社屋の増改築工事を行いました。

それから24年余り、多くのお得意様、仕入先様、関係者の皆様に支えられ、50年という節目の年まで長きに渡り営業を続けることができました。これも偏に皆様のご支援の賜物と深く感謝申し上げます。これからもユニフォームの販売を通して、地域の皆様のお役に立てるよう、精一杯努力して行く所存ですので、今後共変わらぬご愛顧の程、宜しくお願い申し上げます。

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